トップページ | 2007年4月 »

日本史に実在する巨大なダ・ビンチ・コード!?

少し前、ダ・ビンチ・コードという映画があった。ダ・ビンチの絵の中にキリストの隠し子についての暗号が隠されているというものである。勿論、研究者たちが徹底的に調べ、フィクションであると断定されたようだ。だが、その発想は凄く良い。国王や貴族に捧げられた国宝級の絵の中に、自分だけが知る歴史上の大事件、その真実を暗号にして隠す。美術館や城で多くの人が見ながらも、それとは解らない。ただ、暗号であると密かに教えられた選ばれた人間だけが、その真実に涙を流す。なんともドラマチックだ。

しかし、日本にも幾つかそれらしきものがあると言われると驚く人がいるかもしれない。ひとつは織田信長の「安土城」である。なぜ、織田信長が琵琶湖河畔のあの地に、ああいう壮麗な建物を造ったのか、実はよく解っていない。防衛にしろ、権力を誇示するにせよ、もっとましな場所は色々ある。何も風が強く、冬には大雪が降る安土を選ぶ必要はないのだ。

今ひとつは天下人徳川家康の墓所、日光東照宮である。実は徳川家康は死ぬ前に久能山の東照宮に遺体を西に向けて安置せよと遺言していた。西の外様大名への盾になると意である。ところが直前に遺言を聞いたとする南光坊天海が殆ど一方的に、日光の地へと家康の遺体を移し、あのような華美壮麗な神社を建てた。いったいあの龍や虎、狛犬や鳥、霊獣、猫にいたるまで綿密に名工に作られた彫刻群は何のために作られたのか? まさに神秘な謎なのだ。

そして、幕府の黒幕、怪僧南光坊天海がまた興味を引く人物である。彼は実は正体が明智光秀では?という伝説があるのだ。これは天王山の決戦後、敗死した明智光秀の死体の発見の経緯がよく解らないこと、埋められていた首が腐り、よく見分けがつかなかったことなどが起因している。他にも天海が明智家家臣斉藤利三の娘お福、後の大奥の権勢家春日局と奇妙に親しかったこと、春日局が臣下の礼をとっていた、春日局の死後僅か一ヶ月で天海も死んでいる、と奇妙な伝説が多く流布している。興味ある人は調べてみたらいい。

その天海が日光東照宮の全てを自らの山王一実神道により仕切ったというのだ。もし、天海の正体が明智光秀なら、、、、何か自らの人生を変えた本能寺の変について暗号を残していても不思議ではないのではないだろうか? 謀反人のレッテルを貼られた光秀として表に出ることは出来なくとも、国宝として必ず残る建物、その彫刻の中に、密かな、選ばれた者だけが知る暗号を。それは出来ないことではない。彫刻家たちは、雇い主の機嫌を損ねないように、意見を聞くだろう? そのとき、絵や言葉でこのような物にしたいと意見を言えばいい。何も気づかず、名工たちは言われたままの物を作る。そこに暗号が、日本のダ・ビンチ・コードが国宝の中に出来る可能性は大いにある。

だが、暗号にはひとつ特徴がある。それは、キーワードがないと解けないし、何について言っているのか、さっぱり解らないことだ。あの壮麗な建物、不思議な彫刻群に何かキーワードはあるのだろうか? 私の研究は、この当時は空想にすぎなかったが、その辺りから始まった。

そして奇妙なことを見つけてしまったのだ。それは日光東照宮は、そこにある蜜柑などの植物などにより常世の国、海のかなたにある理想郷を模して建てられているというのだ。それは仙境、不老不死の国、蓬莱山のことであるという。

ところで明智光秀の本能寺の変当時の居城は丹波亀山城であるが、「亀山」とは亀の上の山、十五匹の亀が首で支えているとされる「蓬莱山の異名」なのだ。

蓬莱山、天海と光秀との不思議な一致、これは偶然なのだろうか? 私はその奇妙な一致と光秀天海の「伝説」を楽しんだ。しかし、人はその晩年になると残したがるのではないだろうか? 自分だけが知る、歴史の真実、本物、というものを?

| | トラックバック (0)

本能寺の変はなぜ起きたのか?

本能寺の変、西暦一五八二年、天正十年六月二日、京都本能寺で起きた当時の天下人、覇者織田信長を家臣明智光秀が襲殺した有名な事件である。

だが、それが何ゆえに起きたのか? ただの光秀の個人的怨恨、野望なのか? それとも誰か黒幕がいたのか? そこには昔から多くの疑問が言われ、日本史を揺るがすような謎すらあると言われていた。有名な高柳光寿博士、桑田忠親教授の野望説と怨恨説の対立から始まり、小説家、高名研究者、民間研究家に至るまで研究され、挙げられた黒幕は豊臣秀吉、徳川家康、足利義昭、朝廷、伊賀忍者、雑賀鉄砲衆、森蘭丸、実子織田信雄、信孝、武田遺臣団など数知れない。出された小説、研究書、参考文献も数百に及ぶ。

勿論、民間研究家の私も精査してみたいと思った大謎である。いったい、そこにどんな謎があるのか?或いは、謎などないのか? 出来れば、取材で何か光秀の手紙でも見つけたい、そこには本能寺に関しての何かが書いてある、それは本物なのか?偽物なのか? 大学の先生や、研究者はどんな顔をして、それを見るだろう? そういうことを考えるのは、大河ドラマを見たり、小説など読んでいて楽しいことだった。

勿論、四百二十五年前の謎に答えなどない、そう思っていた。変当時の近況でも書いた光秀自筆手紙が一通でも旧家から出てくれば、奇跡に近いだろう。

しかし、私は見つけてしまったのだ。研究の末、その一冊の奇妙な書物を、、、。その不思議な内容を。せっかくの歴史プログなので、私は、その書物の不思議な内容、それについての研究を、ここに書き留めたいと思っている。出来れば、笑わずに耳をしずかに傾けてくれんことを、、、。

「戦国史最大の謎とされる本能寺の変は、実は解明されている」かもしれないのだ。その全てが、、、。

| | トラックバック (2)

トップページ | 2007年4月 »