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「真相! 過去の無い男、明智光秀」

織田信長の赫々たる戦績、武勲は知られている。
ところが明智光秀には四十歳前の過去がない。実はかき消されたかのように無いのである。彼が歴史の舞台に出てくるのは信長が美濃を制圧してからで、永禄十一年、将軍候補足利義秋[義昭]の使いとして登場する。当時、越前に身を寄せていた義昭は、態度を明確にしない朝倉家に業を煮やし、信長に上洛への援護を求めた。これが信長の天下への飛躍になったことは知られている。そのように需要な使者であったのだから、それなりの身分と礼式を知った人間でなければならなかっただろう。でなければ将軍候補の使者に選ばれるわけがない。

ところが明智光秀には四十歳前に何をしていたのか過去が全くないのである。彼自身によれば美濃土岐氏の出身となり、諸国を巡って武者修行していたとなる。しかし、それの書かれた「明智軍記」なる資料は誤謬多く、全く信用できないことが知られている。修行を示す書状などの確固たる証拠は全くない。出自はともかく、若年から中年まで何をしていたのか全くわからないのである。ここが少し明智光秀の人気に係わるところかもしれない。日本人の特質として、一から十まで経歴がはっきりしている人間を好む。空白の経歴など持っていると何をしていたんだ?と疑いの目で見ることになる。
しかし、驚くべき事だが明智光秀は信長の家臣の仲で一番最初に元亀三年、近江滋賀郡で城持ち大名になっているのである。古参の柴田勝家、木下藤吉郎秀吉より先なのだ。
信長の性格は、一面、かなり猜疑心が深かったという。その男がまさに新入りを京都近くの坂本城に据えているのだ。後に位、惟任の名、日向守まで与えて、、、。まさに不思議な話ではある。といって、光秀に何か凄い武勲があったのかというと、それほどのものは無いように思われる。彼は京都や堺で何か交渉、工作を担当していたらしいのだが、、、。

何にせよ、大名、城持ちに抜擢したということは、信長には何か光秀の過去について知っていた重要なことがあったと思える。それ故、京都近郊に据えても大丈夫と考えていたとしか思えない。或いは、何か、どうしても据えたい理由があったのだ。それは何なのか? 私はここにかなり重要なことがあるような気がしてならなかった。

いまひとつ、この後の天下人豊臣秀吉のこともある。秀吉にとって明智光秀は主君を討った極悪人のはずである。いや自分を正当化するためには、光秀は徹底した悪人の方が都合がいい。不明の過去時代があれば怪しいと徹底して調べるだろう。何かあれば暴いて貶める。もしすぐには解らなくとも賞金でもつければ誰かが密告して来たに違いない。だが、である。何もないのだ。確かに天下を狙った悪人とされているのだが、それだけなのである。まるで、権力者秀吉がかき消したのではないかと疑われるくらいに史料はない。

仮にも近江と丹波に大名として城を持った男にしては奇妙すぎる疑惑である。誰でも大名になったとき、経歴くらい自慢したいのではないか? 自分はこうやって出世したとか、これが出世のきっかけだなどと書き残したいはずである。だが、光秀の場合は書いていない、ただ自分は石ころのようにつまらない存在だったと言ったという。

私はこの奇妙な事実には大いに好奇心が動いた。もし光秀の過去に何かあるなら、その理由は二つしかない。何かの犯罪に絡んでいたか、それとも過去がわかると天下人秀吉などにも都合の悪いことになるからであろうと。そして、そのあとの徳川時代にも明らかになっていないとなるなら、家康にも何か都合の悪いこと? それほどの大きな秘密など世の中にあるだろうか? 事実、私はその想像を楽しんだ。「明智光秀の謎の過去には天下人すら隠したいような秘密がある?」そうやって文献を漁っていた私はひとつの興味深い言葉に当たる事になる。
それは今は亡き作家小林久三氏の「光秀の過去は僧侶だったのではないか?」との言葉である。小林久三氏は光秀天海説、明智光秀が影武者を使って生きのび、後に徳川幕府の黒幕、怪僧とされる南光坊天海になったという説を支持しいていて、これを補強する意味で軽く言っているのであるが、私には衝撃だった。というのは光秀が城を与えられた前、ちょうど京都鬼門封じのために建てられたという比叡山延暦寺が信長の大軍に焼き討ちに遭い、消滅させられているからである。そしてその後、光秀の与えられた坂本城はその近くである。そして京都の人々は病的なくらい鬼門[丑寅]方位を災厄が来るとし、恐れるというのだ。家の鬼門方位には何も作らなかったり、祠や神を置く。あるいはわざと凹んだ塀を作り、鬼門は無いとする。今でも凶方位として何か御祓いなどをしつこくするという。

比叡山では三千人の僧侶、老若男女を殺したという。信長も僧侶を多く殺したという事実を少し気にしていたのではないか? そして周囲の家臣も? するとその霊らを慰めるために誰かその方面に力のあるものを? 僧侶? いや僧侶の過去を秘密にするだろうか? 神官? あるいは災いを払う者としての陰陽師? そういえば信長の氏神、生土神とされるのは津島牛頭天王社ではないのか? 牛頭天王とは鬼門[丑寅方位]のヌシとされる神であるとも言う。ならば、神官? 光秀の過去は神に仕えるもの? だが何処の? 私はその独自の想像を楽しんだ。
だが、今から思えば、この想像は当たらずといえども遠からずだった。なぜなら、明智光秀背の過去が神官、或いは陰陽師と仮定すると、彼が新参ながらも織田信長に重んじられた訳、なぜ出陣前の五月二十八日に愛宕山に登り神社に参拝したかの理由、その後の行動の日付にもいろいろな意味、奇妙な一致が出てくるからである。まず次の点だけここでは述べておこう。

「ときは今、あめが下知る五月かな」と有名な初句を光秀が詠んだ「五月二十八日」、
この日に降る雨には特別な名前があること。

「六月一日」 夕刻、明智軍、丹波亀山城を出陣。
「六月二日」 京都本能寺の変
「六月十三日」 山崎天王山での戦い。
「六月十四日」
「六月十五日」 安土城天主閣、謎の炎上。

上の日はある神に関係する特別な日なのだ。その不思議な一致に明智光秀の過去を調べていて気づいたのは、おそらく私が日本で最初ではないだろうか? 
 ヒントは、「寅薬師」。

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