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偽書・奇書「本能寺の変、京都秘密文書」

■何が真相解明のキーになるのか?■
「偽書・奇書 京都秘密文書」

巨大な歴史の事件の裏には、常に奇怪なる文書が幾つか存在する。俗に言う奇書・偽書の分類である。何ゆえに出たのか? 何が目的なのか? 作者や意図するものすらわからず、それらの偽書・奇書なるものは存在し、時々、ふっと我々歴史マニアの前に現れては去っていく。

勿論、それらの多くは、ひと読みすれば何か金儲けか、浅薄な祖先の武功自慢、或いは家柄に箔をつけるために偽造されたものではないかと見分けがつくものが多い。紙質、時代考証、書かれている言葉、地名の使い方、信頼できる史料と読み比べると存在する事件の日時、関係者名の間違い。

しかしながら、学術研究においては価値を付けられず、笑止千万とされる数百の偽書・奇書の中には、時々ではあるが、我々を注視させる奇妙な部分、書き込みのあるものがある。

本能寺の変における偽書・奇書「京都秘密文書」もその類である。何ゆえ奇書「京都秘密文書」とするのか? それは正式な題名、作者を書くとパクられる可能性があるからである。だから、ここではそういう事にしておきたい。どうせ持ち主は「偽書」と宣言してるし、そこに書かれていることに学術的価値を全く見出していない。

私もその明らかに紙質や言葉使いの違う、無愛想な書き方の薄っぺらな書物、巻物でもない、、、を本物と断言する勇気もない。ちょっと書かれてあることに裏を取ろうとしたのだが、信頼性はそこに見出せなかった。特に信長の経歴、性格、明智家の家族などにおいてはかなり違っていた。地名などにおいては、作家井沢元彦氏が「鎌倉時代に東京タワーという地名を使った資料があれば、その価値は、、、」と言っているのと同じである。

だが、「本能寺の変において」は、、、、。いささか気になって仕様がない部分がある。しかも、ある程度正確ではないかとさえ思える部分もあるのだ。
だから、私は魅せられる。故に、ここにその不思議な話を、ちょっと書いてみたい。

例えば、信長の氏神である牛頭天王は薬師如来の化形身であるという神学。つまり牛頭天王は疫病を司る神であり、そのあらぶる魂を鎮撫するために祇園祭は起こり、薬はそれに通じるという一説は説得力がある。そして牛頭天王は朝廷、内裏に敬われつつも最も恐れられた神なのだという。

ところで、織田信長が戦略、政略的にももっと良い地は幾つもあるのに、安土なる地を選んで巨城を構築したのは、そこが薬師如来関係の霊地、霊山とされ、もともと薬師平なる地名、仏像、薬師如来を本尊とする桑実寺などがあったからだとする。

また「寅薬師」、薬師如来は寅の日[十二支の]が縁日という言葉が存在するが、信長が焼き討ちをし、三千人を殺した比叡山延暦寺は京都鬼門[丑寅方位]封じの寺であり、それに係わった明智光秀の坂本城はその側に存在する。
安土城も京都から見ると丑寅、特に寅方位ではないかとの推測も出来る。そこには「天主」なる巨塔を建てているが、牛頭天王[スサノオノミコトと同神ともされる]の別名は「武塔天神」である。
[また牛頭天王は鬼門の主である]
さらに信長の家紋のひとつ五つ木瓜紋は、津島牛頭天王社の神紋ではないかとの研究結果、、、。

奇妙な一致は、まだある。
先にも書いたが、天正十年五月二十八日、出陣前の慌しい中、明智光秀は京都近郊愛宕山神社で連歌会を開くが、この日に降る雨は鎌倉時代の曾我兄弟の敵討の故事にちなみ「虎が雨、虎が涙」という特別な名がある。[曾我兄弟の一人の死を、遊女虎御前が嘆き悲しんだということから]
明智光秀は「時は今、あめが下知る五月かな」と初句に詠んでいるが、この、あめがしたなる言葉は、天下と雨が下の掛詞である。
その句を、彼はわざわざ神前に奉納したのだ。

さて「六月一日」明智光秀の丹波亀山城出陣は「天王降ろし」の日、牛頭天王を迎える行事の日。
さらに「六月二日の変」は、自らを「第六天の魔王信長」との豪語の言葉、「二日の変」は「天に二日なし、土に二王なし」の中国礼記の言葉に掛けられたものと考えられなくもない。

「六月十三日」、山崎天王山の戦いも京都祇園祭りの日[昔は六月七日から十四日]、

「六月十五日」、中部地方などの「天王祭」の日に、信長の最高傑作安土城天主閣は謎の炎上により消失している。この一致は偶然といえるだろうか?

また別の一致もある、光秀には辞世の漢詩が残っている。

逆順無二門、
大道徹心源、
五十五年夢、
覚来帰一元

というものだが、歴史を見れば本能寺の変時の明智軍先鋒隊長安田国継は、後に何故か「天野源右衛門」と改名している。右衛門府、左衛門府、ともに内裏の門を守る役職である。ところで「御門、みかど・帝のこと」との言葉があるのだ。先鋒隊長といえば、もっとも重要な役目であり、光秀の最も信頼できる部下だったはずである。
その改名と辞世漢詩の一行目の「無二門」、二行目の「源」なる言葉はぴったりする。さらに四行目の一元なる言葉には「元号」の意味も含むという。「天正」、、、夢が覚めて、これに帰るとはいかなる意味なのか?

「牛頭天王」なる言葉を考えると、もうひとつ気になることもある。
「牛頭・ごず」なる奇妙な読みだが、これは「五月五日」の「牛神祭りの日」に掛けられているとの話があるのだ。今でこそ祝日だが、昔「五」は大凶数であり、「五月五日」に生まれた子供は、親を殺す者として殺されたなどの話が古の中国の話などには出てくる。日本でもその手の思想はあった。「五・ご」と「牛・ご」。
ところで光秀の過去は不明で、年齢はよく解らないことが知られている。辞世漢詩を見てもらいたい。横に読むと、つまり一番上の字だけとると

「逆大五覚」、つぎが

「順道十来」
「無徹五帰」
「二心年一」
「門源夢元」、、、

逆と大きく五を覚えた、、、順の道、天正十年、、、無に徹し五を帰す、、、、御門と源氏の夢を元[はじめ]る。

「天野源右衛門」と「牛神祭り・五月五日」を考え合わせると、そんな不思議な一致、読み方があると思えないだろうか? 

偽書「京都秘密文書」には、そういう不思議なこと、ヒントが幾つか書いてある書物である。
どこから、何処まで的確に書いてあるか、どこかからが私の推測、推理かは言えない。パクリがあるから。

しかし、偽書・奇書にしても不思議な書物だ。何か、元になった原本のようなものがあるのかも知れないが、私には見当がつかない。しかし、なかなかの豊富な要素があるように思える。
だから、もう少し、「閑話」として、書かれてある不思議なことを追求してみよう。

次は、ちょっと毛色の変わった、あの人間のことだ。

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