本能寺の変の真実への解明方法。

「戦国史最大の謎とされる本能寺の変は、実は一九九七年二月に全て解明されている!」

しかしながら、いかなる方法をもってこの迷宮を解明するべきか?当然、私は四百年前の巨大迷宮の入り口で迷うしかなかった。もっとも正直に書くと、解明などできるわけがないし、適当なことを書いて目立ってみたい、程度の魂胆しかなかった。

ところで貴方は四百年前の迷宮入り事件を推理せよと命令されたらどうします?
おそらく 一 大学教授、学者などの俗に言う識者などの話を聞く。
二 岐阜、安土、坂本、京都本能寺など関係現場に行き、実地に戦国時代の雰囲気を味わってみる。
三、残された当時の手紙、記録、絵画、遺跡などの本物を目で見、検討する。
四 新しい証拠品、[手紙など]が出ないか、適当な、寺、旧家などの場所をめぐる。くらいしか思いつかないのではないか?

実は私もそうである。この程度しか思いつかなかった。しかし、本能寺の変が起きて四百年も経つので、史料、資料などは出尽くしているといっていい。戦国時代の有名人の書いた書簡などは破格の値がつくことが多いので、旧家などはあれば必ず出すだろうし、研究者たちも鵜の目鷹の目で色々と調べつくしているに違いない。私の野心?などは可愛いものにすぎなかった。

また、万にひとつの僥倖に恵まれて、何か本能寺関係の光秀の手紙が出てきたとしても、真偽が必ず問題になる。持ち主が偽物となることを恐れて科学鑑定などさせなかったら、それまでである。さらに、私や持ち主に悪気がなくても、後から偽物と判断されたら、まさにひどい汚名となるだろう。
この前、ある鑑定番組で見たが、ただ所領を先祖に与えるというだけの武田信玄直筆の手紙が偽物だった。江戸時代、家柄に箔をつけるのが流行った時代があり、その為に捏造されたものなのだという。だから迂闊に信用できない。もうひとつ、本能寺関係の光秀、その側近の手紙などはそれなりの勢力があった家にしか出されなかったろう、それらの歴史ある旧家が残されている手紙を調べないということがあるだろうか? いや、あえていうなら、家臣などの書簡が出てきたところで無駄になるかもしれないのだ。

実は光秀の娘の嫁いだ細川幽斎家に、明智光秀自筆の手紙が残されているのだ。本能寺の変後、援軍を乞うた手紙で、ここでは略すが、援軍のこと、国を与えること、自分が不慮の儀、つまり思っても見なかったこと、本能寺の変をなしたのは、自分たちの子供と細川忠興[幽斎の子]のことを思ってのことであると明記され、日付、名、花押がある。
思いつきでやったとの歴然たる証拠品があるのだ。
細川家のような格式ある大名家に伝わる証拠品、どうされるおつもりかな?
普通の家臣の手紙があっても太刀打ちできないだろう。
大半の研究者は黒幕説追及など此処であきらめる、研究しても無駄だと思う。

だが、本当にそうだろうか? その手紙が真実だったのか? 
実は違う、本能寺の変の真実は「朝廷説」だったのだ。歴史の真実はもっと深遠で、豊かだった。そして、真実へのキーは、明智光秀を敬愛する人々により、世に残されていたのである。東大教授さえも思いもよらぬ方法によって。
日本には、国宝の中に本物のダ・ビンチ・コードがあったのだ。だが、それを知るには少し基礎知識がいる。ゆえに、少し、この後が長くなるのを我慢していてもらいたい。

だが、私が世の人々に騙り、ペテン師だ、などといわれるのも心外、問題なので、次の一点を書いておこう。

明智光秀が本能寺の変直前の天正十年五月二十八日、京都近郊愛宕山に登り、神社で連歌会をなしたことはよく知られている。
あの日本一有名な連歌「ときは今、あめが下知る五月かな」を詠んだ会である。だが、何のために出陣前の多忙なときに、あそこでなしたのかはよく解らない。京都市街を目で見て確認するため、誰かと連絡を取った、愛宕神社から軍資金を得るためなどと色々といわれている。何か大きな目的は他にあって、連歌会はそれをするための偽装だったのだろうとは私も思う。が、初句「時は今」の意味が色々といわれていることは事実である。

ところで、一番最後、百番目の句、「国々は猶、のどかなるころ」
これは実子、明智光慶が詠んだことになっているが、実は光秀の句だという。
実は、その前の九十九番目に気になる文字があるのだ。
「色も香も酔をすすむる花の本」心前。
この花の本、「花の下」ともあるが、どちらも[はなのもと]と読む。
もともとは室町時代など、花の下で行われた連歌の権威者が次第に公認され、一時代に一人を限り朝廷に許されるようになった名誉の称号のことである。
また、その意を踏まえ各界における第一人者も指すようになった。との意味のある言葉なのだ。その句に答えたのが光秀。
その句は「国は猶、長閑なるとき」と答えたとの伝もある。
「はなのもと」「長閑」、、、、織田信長が係わる大事件直前に、こういう言葉があるのは偶然なのか?、、

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